今朝は、機嫌がよかったLeonくん。
朝ごはんのとき、おやつの話になりました。
うちの保育園は、延長時間のおやつ(17時くらいに食べる)は持参なんです(結構面倒くさい)。で、週に1度くらいは、おせんべいとビスケット(+麦茶)を、小さいタッパーに入れて持たせることもありますが、うちの基本は「バナナ」。だって、チョコチップ入りクッキー3枚分とバナナ一本分は同じカロリーなんですよ(by うちの職場の栄養士)クッキー3枚じゃ満腹にならないけど、バナナなら満腹!というのは、後からの理由づけですが(爆)、基本的に、おやつ≠お菓子という食事の考え方と、コントロールがきくうちは、お菓子は意図的には与えない、という考え方(夫婦間で一致)から、毎日おやつはバナナを持たせています。ほかの果物だと切って皮むいて持たせないとならないので面倒というのも理由(爆)。
ですが、結構、みなさん、色々持ってくるらしい。チョコ菓子やスナック菓子もアリらしい。そういうの、本当は保育園が教育的指導しないと!とひそかに思っているのですが。でも、時間内のおやつでヤクルトとかジョアとか出ちゃうからなあ。いまいち意識が…(涙)
で。
おやつの話になったとき、突然。
「Leonくんがバナナを食べると、みんなが『ゴリラみたい!』って言うんだよ〜」と、Leon。
一瞬考え、その後爆笑したわたしと夫。おかしすぎる。
夫が「そうしたら、Leon、胸をたたいて『ウホウホ』って言うんだよ」と、ナイスフォロー(珍しく…爆)。そうそう。そのおおらかさでなくちゃ。
ゴリラに傷つく日もあるかもしれないけど、笑い飛ばすくらいのおおらかさと、元気さで、この先も乗り越えていってほしいと思う、父と母なのでした。
その後、さらにLeon語録は続く。
「感謝の気持ちをもって、いただきます、するんだよ」
「感謝の気持ちをもって」って、3歳児の言葉か?
これは、給食のときの、ご挨拶(保育士さんが言うのかな?)らしい。そのまま覚えているだけなのですが。
これはよいぞと思い、「そうだよね、食べ物さんにありがとうって感謝して食べるんだよね。お魚さんやブタさんにも、命をいただきます、って気持ちでいただくんだよ」と、食育タイム(笑)。どれだけ理解できたかはなぞですが。
でも自分も、子供のころ親から厳しく「お米は一粒も残すな」とか、言われてましたし。繰り返し、伝えていくことで、何かが残るかも知れないし。
トイレの失敗は気にならないけど、食事を食べないとか、食べ物で遊ぶ、とか、そういうことには妙に厳しい(笑)、わたしなのは、やはり、そういうところからきているのでしょう。
さっきも夕食前に、ばあちゃんと、せんべいのことでけんか。「せんべいだって米じゃないか」というばあちゃん。はあ?せんべいは米菓子だって。菓子だってば。孫のこととなると、まったく常識が崩壊するばあちゃん。
食事のことは譲れない。食は自然にも経済にも宗教にも人間関係にもつながる。
食事といえば、土曜日に、摂食嚥下機能訓練を専門にやっている歯科医師の話を聴く機会があったのですが。こんな話が。
「日本人は箸にこだわりすぎる。箸を早くから使わせすぎるのはよくない。指の機能が完成してからで遅くない。しつけ箸など工夫のしてある箸を使わせると、かえって食べる(口や舌など)機能が逆戻りすることも。」
某有名私立幼稚園で、箸が日本人の心だとこだわり、全園児に使わせることをよしとしているが、ダウン症の女児が入園し、指の機能の問題からまだ箸には至らない、とこの歯科医師が園長に手紙を書いたところ「箸は日本人の心ですから、うちは全員使う方針です」と返事がきたそうだ。彼は「もしこの園長が将来、脳梗塞で半身不随で倒れたら、『日本人の心は箸です』と、箸を差し出してあげたい」と言っていました。
5〜6才くらいまで、ゆっくり様子を見ましょう、と。そうだよなあ、と。3歳を過ぎて、箸のことが気になっていたわたしにはよい話でした(爆)。
人々の価値観は、本当に大事なところからちょっとずつ、ずれているような気がしてなりません。手段を目的と勘違いしている若いママさんたちに仕事で出会うと、お〜い、と突っ込み入れたくなります(爆)。英語ができるようになることが目的ではなくて、人とコミュニケーションを構築することができる人になることが子育ての目的で、そのためには、思考を構築できる日本語力(読解力)が最も基本なんではないか、とか。食事をたくさん食べさせることが目的ではなくて、季節にとれる野菜のみずみずしさや美味しさを体験したり、育つ過程をともに喜んだり、そういう食生活の豊かさが、人間性をより豊かにするのではないか、とか。
仕事を通じて、そういう、「自然の中の人、人の中で育つ人」の大切な部分を、実感したり、自分の子どもの育児を通じて確認している毎日です。